このタイトルの記事シリーズは、義母が今年の4月に骨髄異形成症候群という病気を発覚したことにより、病状の経過や治療についてなどを記録するつもりで書き始めたものでした。
でも、わずか数ヶ月でその記録は終わりを迎えることとなりました。
9月に義母が息を引き取りました。
前回の記事で、夫が医師から『余命は2週間くらい』と言われたと書きました。
義母が亡くなったのは、医師にそう伝えられた日から1週間後でした。
その日、朝の7時台くらいに病院から電話がかかってきて、看護師さんから『血圧がかなり低下している。今日はいつ電話がかかってきても出られる様にしておいていただけますか』と言われました。
夫が出勤してしまう前にこの事を伝えるために、朝早くに自宅に電話をくれた様です。
不安に思いながらもお互いに仕事へ行ったのですが、その後、病院から義母の状態の連絡を受けた夫は午後半休をもらって備えていました。
その時点で、血圧は40台に低下し酸素を投与中だが、脈も触れない状態で酸素も取れない状態だったそうです。
そして、義母は亡くなったのですが、残念ながら夫も最期を看取る事は出来ませんでした。
ちょうど夫が病室に行った時に医師が死亡確認をしており、その時の時刻が死亡時刻となったそうです。
夫は、おそらくはもっと早く(お昼頃には)亡くなっていたんじゃないかと思う、と言っていました。
コロナ禍ということで面会禁止となっていたので仕方ありませんが、入院してからの2ヶ月間そして最期までも、会う事は出来ませんでした。
…このシリーズは、この様な形で終わりを迎える事となりました。
もう、葬儀や納骨、その他色々な事は全て終わり、落ち着いています。
(葬儀のことなどは、また別の記事に書こうかな…)
遅くなってしまいましたが、このシリーズで義母の事を見守ってくださっていた皆様に感謝申し上げます。
お読みいただきありがとうございました♡
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